80年代を懐古させられる 2つのマンガ

80年代を懐古するようなマンガを、立て続けに2冊読みました。


とよ田みのるさんの『友達100人できるかな』と押切蓮介さんの『ピコピコ少年』。
『ピコピコ少年』は“ゲームと自分”というテーマなので90年代の話も多いですし、
つい最近の話も混じっています。

友達100人できるかな(1) (アフタヌーンKC)

友達100人できるかな(1) (アフタヌーンKC)

ピコピコ少年

ピコピコ少年


wikiによれば、とよ田みのるさんは1971年生まれ。
押切蓮介さんは1979年生まれ。
私自身は1975年生まれなので、ちょうど上下4歳年齢が離れた人たちが、
少年時代のことを描いているということになります。


余談ですが押切蓮介さんは9月19日生まれで、自分と同じ誕生日だったので、
なんとなく親近感を抱きました。一条ゆかりさん、克・亜樹さん、
かずはじめさん、久保ミツロウさん…… 9月19日生まれの漫画家さんは
みんな気になってしまいます。


話を元に戻します。
友達100人できるかな』は自伝要素はあるものの、基本的にはSF。
作り話というか、物語世界ですし、ファンタジーなわけです。
テーマは友情だとか、愛だとか、命だとかという、とってもあたたかい世界です。


とよ田みのるさんは、日常の中にあるファンタジーを描くのが
とても上手い漫画家さんだと思っています。現実から半歩くらい踏み出した世界。
私の日常でも起こり得る内容に思わせるけれど、決して起こりはしない世界です。
作品に登場する人々も、良い意味でリアルではありません。
悪や影、汚く暗い部分は排除して、さわやかで優しく、清清しい人々が登場します。


ですから『友達100人できるかな』も、キレイな世界なのです。
大人になった人々が“美しい想い出”として子ども時分を懐古すると、
友達100人できるかな』に近い世界を思い出すような気がします。


対して『ピコピコ少年』はリアルです。
ゲームを巡る汚い争いや、持たざる者が持つ者に対して抱くドロドロとした想いを
情け容赦なく描いてしまいます。80年代に子ども時代を過ごした人なら、
自分のイヤな古傷を、思い切りえぐられているような気になることでしょう。


とくにゲームが好きだったり、男性だったり、家があまり裕福でなかったり、
ゲームに人生のたくさんの部分をささげたりしていれば、傷はさらに多く、深くなります。
その点では、女性の自分にはわからない部分も多いのかもしれませんが。


友達100人できるかな』では排除された部分が、
『ピコピコ少年』には詰まっている気がします。


傷がえぐられて痛い。
でも確かに『ピコピコ少年』のような気持ちや思いは抱いていたという深い納得。
言葉の選び方を含め、エピソードのひとつひとつが真に迫っています。


子ども時分の清と濁といいますが、光と影といいますか。
どちらも「懐かしい!」「うんうん、そうだった!」と思わせてくれる、
面白いマンガなのですが、刺激される部分はかなり異なるフシギな感触。
80年代に子どもだった人たちには、ぜひ読んで欲しい2冊。


友達100人できるかな』は、今後の展開も楽しみです。
(メカタ)